エベレスト眺望トレッキング紀行

 (2002年11月27日~12月8日の旅紀行)

  一度は行ってみたいと思っていた海外登山が実現した。どこへ行くか?時期は?旅行社は?内容は?はと、いろいろ調べて、金銭的問題から、もう行く機会は無いだろう、結果ヨーロッパや北米、オセアニアなどより価格が安く、世界一高い山「エベレスト」を見てみたい、旅行者比較、行先と価格、信用?等から、西遊旅行を選定し、申し込んだ。出発間近となり、参加者がなんと5人のため、添乗員がつかなく、現地スタッフが対応するという。青森~伊丹前日入りし、USJを一人見、夕方から仕事で知り合いの大阪ヤングレディと天保山大観覧車等デート、旅行当日、関空出発集合口に行ったら、参加者の内訳が、岡山から来た3人組、茨木から来た学生1名、と私の5人であった。ネパール10日間とも快晴で曇天も無く、強風も無い、いい天気で、青空に浮かぶまさに神々の座と呼ばれる山々と満天の星に満たされたトレッキングだった。残念なのは、3000m超えるといつもおきる高山病だったが、いまは良い思い出となった。もう15年も前の振り返り旅行記である。

 

(1日目)ネパールの首都カトマンズに到着し市内観光

  関空21:50発ロイヤルネパール航空で、ネパールの首都カトマンズに旅立った。翌朝3:10着(時差3時間15分)にカトマンズに着陸したら、ものすごい濃霧と薄暗さで全く周りが見えない。みんなタラップを降り立ったので続いて降りたら滑走路のような場所で空港建物も全く見えない。よくこんな濃霧の中に着陸したものだとびっくり。まあ、日本ならまず着陸しないだろう・・・。  何も見えない中、先に降りた方々の後ろを歩いているとぼんやり空港ビルが見えだした。簡単な通関後、出向い現地スタッフの車でホテルへ。夜中でもあるがネオンや明るい看板などほとんどないさみしい田舎道を走っているような感じで、間もなくホテルに到着。私は学生との相部屋だ。立地、ホテル内に専門店が数軒あり、古いが立派なホテルのようだ。ネパールは世界でもかなり貧しい国だ。だから、ヨーロッパや北米、オーストラリアなどに比べ安い旅行費で参加できるのだ。

 午前は自由行動で、岡山3人組は以前も来たことがあるらしく、誘われるまま、市内の古い寺院や懐かしい市場等がある場所に案内してくれ、シナモンや紅茶が安いというので、青森のこぎん刺しのような袋に入った紅茶をお土産用に購入した。市場の路上に荷役牛が横たわっている。言わばアメ横風情で、私は、青森市の中心街育ちのためか、賑やかな商店街も戦後の市場風景も小さい頃の環境で慣れ親しんでいる。何でも見てやろうと楽しみ、少し先輩の3人組、学生ともすっかり仲良くなり、午後はガイドの案内で再び同場所や王宮、郊外寺院などの市内観光を巡った。寺院では、円形の仏舎利塔に旗や祈りの布をいっぱいつけなびかせているタルチョーと呼ばれる祈願旗が印象的であった。

(2日目)カトマンズから小型飛行機でルクラ登山口へ~~バグディンまでトレッキング1日目

 早朝5時起床、カトマンズ空港6:30発のバスに翼が付いたような小型飛行機でエベレスト街道の出発点であるルクラへ40分ほどで到着。

 山の崖斜面の空港で、崖の下から坂を上る形で着地した。このままブレーキが利かなく坂を後ろから転げ落ちるのではと心配するほど迫力であった。

 シェルパと呼ぶガイドリーダーが、統括指図する上下関係がすごい。副りーダーやコックは、知り合いのようで、コック見習いやポーターなどは現地その場で契約するようで、小学上級生くらいの子供の実小間使いもいる。ポーターは荷物運び専門で最も下級扱いのようで、私達とは一緒に歩かず先にテントや荷物を運ぶ。30代か?シエルパリーダーもそんなに荷物は背負わない。副リーダーは大学生のようで、コックも20代の若く、私達は身の回り品だけ背負ってのトレッキングである。

 歩き出すと、早速街道から早くも高い山が見えるヌプラ峰だという。全く日本の山風景と違う。低い山がなく、田舎道に岩木山のような単独山という感じだ。ルクラ空港の街は少し大きい街だがそれでも深浦岩崎の一部落くらいの街くらいで、点々と数軒や数十件の住居部落が点在している。

 未舗装の道は、木や林がほとんどなく、木は燃料にしてしまったためない感じで、未舗装のデコボコ道で、車はもちろん自転車や荷車も走っていない。もっぱら、ヤクという牛のような動物が、昔の馬のような荷役で、石を積んだ家や塀は、その隙間埋めにヤクの糞をセメント代わりにしているという。糞は乾かして燃料にもしているとのことで、大切のようだが、随分と糞が道に落ちているので、景色に見とれ、うっかり転がっている糞を踏んでしまうと、ねちゃっと粘りのある糞は中々取れない大変いやな糞である。

 街道には、マニ石と呼ばれる大きな岩石に経文が彫られたものや経文を手で回転させながら唱える祈願所などがある。ネパールの国教はヒンズー教だが、このエベレスト街道は中国チベットとつながっており、仏教民族が住む地域で、各家には仏様が描かれた布仏壇があり、出家のようないでたちの子供とも出会った。治安も非常にいいという。

 初日は、街道を歩きながら山々や住宅等の景色を楽しみ、ヤク乳のミルクティで休憩し、コックの素人味付けのような中華とインド料理のような昼食と3時間ほどのトレッキングであった。会う人には“ナマステ”というコンニチハの挨拶をし、道端の広場のようなところでのテント泊であった。

(3日目) ヤク行列にタルチョ(祈願旗)なびく吊り橋渡り高山病と闘い街道一集落ナムチェへ

 この日は約7時間のトレッキングで、街道最大の街「ナムチエバザール」(3.446m)までの行程である。青空に浮かぶすばらしくかっこいいタムセルクという山が見え、裾野で雲が沸き出ている。まさに神々の山いう感じがした。 ワイヤーでつながれている橋をヤク様のお通りと言わんばかりに群れで渡ってくる。日本では絶対に見られない光景だ。ナムチェ手前の大きな吊り橋のワイヤーには祈りの旗、布切れが無数に結ばれ風になびえている。向こう岸まで100mはあろうか?川までの高さが数十メートルあろうか?揺れて渡るのが怖い。 渡ったとたんに急坂が続く。高山病の始まりだ。息苦しく、頭が重く、思うように足が進まない。酸素ボンベ使うと値段がものすごく高いとのことでがまんしてようやくナムチェに着いた。しばしテントでダウン。少し落ち着きバザールを見に行ったが、この日は小規模でたいしたものでなかった。夕食時高山病とうまくない飯で食欲なく、明朝、具合悪いようだと下山もと告げられる。トレツキングの休憩時に甘いミルクテイがふるまわれるが、水分補給と甘さが高山病予防とされるが、私にはほとんど効かなかったようである。

(4日目)コンデリ、タムセルク高峰に圧倒・・・そしてエベレスト、ローツェの世界第一・二高峰が

  早朝、コンデ・リという山に朝日が当たりだし、まるで黄金の山のようであった。今日は、シャンボチェという゜エベレストビューホテル」まで高度順応トレッキングで、早朝血圧、心拍数等を測られると、まま体調がいいので、登ってもいいと言われ、ナムェ村をバックに急坂を登ると眼下に集落とコンデ・リという山壁、集落外の切りだった地形が圧倒的だ。

 エベレストビューホテルに着くとベランダからエベレスト、ローチェなどの世界第一、第二の高峰が見える。エベレストからは絶えず雲が沸きだしている。ここには、小型飛行機でルクラから一っ跳びで来ることもできるが、トレッキング街道から見る山は良かったと改めて思う。午後になると疲れからかまたまた高山病で下山後はダウン。

(5日目)秀峰アマダブラムと最高峰タンボチェ寺院

 今日はタンボチェというトレッキング最高峰で寺院がある場所までだ。街道を登っていくと、ゾッキョという山羊のような動物が崖の上で雄姿を見てくれと言わんばかりに現れた。右にはアマダブラムという秀峰が見える。何とも言えない光景だ。ヒマラヤとは古代サンスクリット語で雪の住み家というらしい。とにかく連日晴天で、太陽下では半袖でもよく、建物等の陰に入るとフリースを着なければならないほど寒暖差が大きく高度と太陽の近さが感じられた。夜は羽毛ジャケットがないと寒くていられない。高山病なのにヒッドライトでテントの中で持参の酒をこっそり毎日飲む生活であった。

(6日目) 星空と高峰眺め・・高山病も治り・・余韻

  パンボチェ(3.985m)という雪男伝説小屋に行くか、タンボチェ寺院を見て下るかと言われ、200mほどの高度を登るだけなのだが、雪男に関するものは今は無いということもあり、タンボチェ寺院や付近散策を3人がして、2人はシャンボチェ往復となった。私は最高峰タンボチェ寺院内見学や仏教関連のお土産を購入し、3人とコック長とで、のんびり下山した。若いコック長は山用時計を見せて大事にしていた。私もカシオの山用時計を見せ、現地の話や日本のことなど片言で語り、高山病もふっとび、快調なタシンゴ下山となった。

(7日目) 山だけでなく集落を眺めながら・・・

 下山途中ナムチェで大きな休憩があり、買い物や村ブラをし、モンジョというところまで下山した。登りはナムチェ手前からの高山病と闘いながら、山々の眺めと写真撮影に夢中であったが、下山は高山病も治り、もっともっとスピードアップしてもと感じながら、ゆったりのテイタイムともう来ることも無いだろうとの余韻での眺めに浸った。

(8日目)どぶろくでシェルパ達と乾杯!

 ルクラに戻ってきた。シェルパたちとお別れだ。夜、食堂で乾杯をしていたら、向こうでシェルパたちも飲んでいる。挨拶に行くと、やかんにチャンというどぶろくのような味のものを飲んでいる。私にも味わわせてほしいと飲んだら、連れの学生も飲みだした。元々胃が弱いので、医者から頂いている胃薬飲んで空港ホテル泊なので寝たら、相棒の学生が夜中に腹が痛いというので、市販の胃薬、腹痛薬を与えて寝た。

(9日目) カトマンズの街歩き

 ルクラ飛行場から坂を滑り降りるように飛行機が飛んだ。坂が切れてそのまま谷底に落ちないように祈っていたら、見事坂から空中に飛び出し、絶景を見ながらカトマンズに到着し、ホテルに着いて、ブラブラしていると連れの学生や3人組が見えない。まもなく、学生が昨晩のチヤンにあたり、与えた薬が効かず下痢がひどく医者に行きたいというので連れて行って来たという。私は胃薬飲んだからか、白神山地で川の水を飲んで鍛えられているせいか何ともなくて良かった。

 街ブラしながら時間をつぶした。道を渡るとき、ほとんど信号が無く、車の間を縫って渡るのが非常に怖かった。白神倶楽部から寸志をいただいたので、剣の形をした酒を探し、お土産に購入した。

(10日目) 小型飛行機で、世界第5位の高峰「マカルー」を眼前に見る

 予備日だったが、全日とも天気に恵まれ日程終了していたので、オプションでヒマラヤ遊覧飛行をすることとなった。予定より2時間も待ち、ようやく20人ほど乗るような小さな飛行機に乗ると、綿と飴が渡された。耳栓と気圧対策だという。小さな丸い窓ガラスはかなり古く透明度が低い。もうヒマラヤの壁と言われる山脈が見えだし、もっと近づいてほしいなと願っていたら、扉の無い操縦席で副操縦士が機器のあたりを蹴飛ばしていると仲間が言う。まもなくUターンして引き返した。また空港で30分ほど待たされて乗り込むと先ほどの飛行機であった。大丈夫かなと不安でいっぱいだったが、今度はヒマラヤ山脈そばを飛んで、代わる代わる操縦席から山々を見せてくれる。ようやく私の番となって操縦席に行くと、丁度Uターン場所で、副操縦士がマカルーマカルーと叫んでいる。世界第5位の高峰「マカルー」が間近に見え、丁度いい順番だった。必死にシャッターを切った(写真)。乗ってよかった、トレッキングは遠くからだが、数百メートルから、それも上空から見れたのだから、全行程晴天とともに運がついていると感じた旅だった。

(後記)  山友と地域交流深まる

 岡山3人組とはこの時の縁で、旅行後に青森に5度ばかり多くの山仲間を連れて遊びに来てくれた。3人とも年齢大先輩だが、なぜか愛され、白神山地や岩木山、八甲田山、奥入瀬渓流十和田湖、下北など何度も県内に足を運んでいただき、また、仕事で名古屋万博に行ったときは、岡山から車で来て飛騨高山で落ち合い、新穂高や上高地などの早春トレッキング、また、岡山から、四国石鎚山、剣山、金毘羅などの山行+観光案内ほか数々のお世話になっている次第である。